森の石松祭りで
カテゴリー │森町
森の石松まつりがここ遠州森町で開催されました。今日は石松仮装コンテストの審査員ということでお祭に参加してきましたのでちょっとご報告です。午前10時30分に森町役場庁舎に仮装をした清水一家28人衆と、我こそは森の石松だ~!というコンテストに応募した8名の方々が集合です。
大勢のカメラマンがこれから町内を行列して森の石松の墓所のある大洞院に向かう一行に一斉にカメラを構えて撮影しています。これには訳がありまして[森の石松まつりフォトコンテスト]が同時開催されてますので、腕自慢のカメラマンがシャッターチャンスを窺がっているという訳です。
町を流れる清流太田川の堤防に一行が来ました。桜堤と呼ばれるここの桜も咲き始めました。来週4月の3日(土)4日(日)にはこの桜堤で「さくらまつり」が開かれます。ここのところの冷え込みで満開まで待ってくれるかも知れませんね。
ここは森の石松のお墓のある大洞院です。石松没後150年供養祭が行なわれます。28人衆と仮装コンテストの一行も墓前に参列して僧侶の読経が始まりました。石松のお墓の石を持っていると勝負事に運がついてくるとかで墓石を欠いて行く人が後を立たず小さくなってしまって、新たに建立したのですが、今日見るとまた小さくなっていました。
その供養祭には多くの方が参列してなかなかの賑わいに驚きです。
森の石松を全国に名を広めた方は何といっても昭和の初め(昭和7年)頃浪曲師の2代目広沢虎造さんです。森のお茶の販路拡大に苦心された茶商の方がこの方にお願いに行ってそして虎造さんが浪曲の枕の詩が出来ればいいよとかで一生懸命考えた茶商青年部の島房太郎さんが作ったその詩にのせて虎造節で全国津々浦々に鳴り響いていったということです。今日聞いたお話では、その虎造さんが昭和39年にお亡くなりになって以来虎造節を継ぐ人が無いので虎造節保存会を立ち上げた方 八木 健会長が愛媛県(松山市)から来てくださってその名調子を披露してくれました。勿論あの有名な[江戸っ子だってね」[神田の生まれよ」「そうだってね、寿司食いねえ]の石松30石船をです。
そして、いよいよ石松仮装コンテストの審査結果の発表と表彰式です!それぞれどなたも石松になり切ってのパフォーマンスもあって審査も大変難しくて困りました!が菊川市から参加の78歳とは思えないお元気な出で立ちと歌を交えてのアピールが多くの審査員の気持ちを動かして見事最優秀賞を射止めました。
(無事にお役を終わってやれやれです)
三度笠を高く飛ばして森の石松没後150年供養祭も無事にお開きでこの後餅投げが行なわれて終了しました。この清水一家28人衆に扮した方々は森町キャンペーンガールと新しく生まれ変わった遠江総合高校の男女生徒さんでした。また仮装コンテストには4歳~6歳の保育園児さんが可愛い石松に扮してくれました。皆さんお疲れ様でした.森町が多くの方のお越しで賑わい本当に有難うございました。
かしわ餅です!
カテゴリー │和菓子
です。)いろいろな味をお楽しみいただければと思っています。
「
「桜の花と桃の花]の絵のご希望です。仕事を離れて外にでてみると、いろんなところで桜が咲き始めていますね。もう満開ではないかと思われる木もありますし2~3分咲きかなと思われるのもあって、また桃の花の濃いピンクがいっぱいの景色を見ると心華やぐ気になりますね。昨年桃の花がいっぱいのお庭の方から今年もお招き頂きましたが仕事で都合がつかなくて残念ですが。
3月28日遠州森の石松祭り。
カテゴリー │森町
『森の石松について」
天下に名も高き石松の墓が、洞雲寺に有るという事は知らない人が多いと思うが、石松は実在の人であり、三河人特有の性格を持つ三河産の人物である。新城市富岡は元八名郡半原村というた。その半原村の堀切という所で生まれた先祖は山本庄次郎家を代々名乗った庄屋も勤めた事もある家柄である。石松の父の代に没落して遠州へ石松を連れて出稼ぎに行き、山仕事をしていた。たまたま森町の天宮神社の祭礼の当日、父助治の目を逃れた石松が雑踏の中で迷子となり、任侠二郎親分方に引き取られ、その少年時代を過ごした後に、次郎長親分に見出され子分になったという。石松が次郎長の代参として金毘羅参りをして帰りに堀切の生家に立ち寄り幼馴染の山本てつさん(昭和7年4月18日92歳にて死去)に面会して、今から遠州都田村で都鳥吉兵衛一家との果し合いをする事を語ったとのことである。生家を出る時、近所の小太郎と言う人の所へ立ち寄っている。ここでお茶菓子代わりに煎り豆を出されたそのあとで、石松は『こりゃ縁起が悪い(いり豆は腹を切る)今度は碌な体じゃ帰れまい」ともらしたとう。それで供に連れて行くことになっていた弟の佐与吉に道中差し一振りを与えて『俺の助太刀する時これを使え」と言った。しかし都鳥一家の大勢に取り囲まれた。激しい斬り合いとなり、怖気づいた佐与吉は茶畑の陰に隠れて助太刀もせず、石松が深傷を負って倒れるのを見ていた石松は『もうこれまでだ』と言って腹を切って立派に相果てた、と弟の佐与吉は語っている。石松の遺骸を半原の洞雲寺へ運んだ佐与吉は洞雲寺の院主に頼んで形ばかりの葬式をしたが当時石松は博徒でヤクザと言われて軽蔑され疎んじられていたので人並みの戒名も授けられず墓地の片隅に寂しく眠っておる。石松は文久二年六月十七日遠州都田村で都鳥一家にやられておる時に、行年三十七才であった。弟佐与きちは明治三十九年七月十四日に死去した弟佐与吉と親しくしていた堀切の植村栄吉という老人は。昭和四十三年二月二日92才で死去したが、生き証拠であった。後に石松には任侠徹石信士という戒名が授けられた。と書かれていました。
手作りクッキーです。
カテゴリー │洋菓子
手作りのクッキーが焼きあがりました!。いろいろな味わいをお楽しみいただきたくて9種類ほど作りました。左側から①コーヒー味。②レモン果汁と表皮を加えてレモン味。③ラム酒で味付けしたレーズンを加えてシナモンの風味に。④バニラの香りとココア味の二つを市松模様でお楽しみいただけます。⑤洋酒で漬け込んだミックスフルーツの香り豊かな味。⑥アーモンドプードルを生地に加えて練りこんでアンゼリカ(蕗の砂糖煮)で飾り。⑦は④と同じ生地を市松模様の2段。⑧はエダムチーズを生地にたっぷり加えたチーズ味です。カリッとサクッとの歯触りがおいしさの決め手。⑨クマの型でぬいた可愛い懐かしい感じのクッキーです。食べだしたり止まらないので困った人がいたとか、お聞きしましたが少しずつお召し上がりくださいませ。
明日は卒園式で、卒園していく園児さんと、進級する園児さんに園
からのお祝いのプレゼントが用意されているようです。今、外では大
分雨音が大きくなってきましたが、明日の朝までに雨が上がるといい
ですね。
名入りカステラです。
カテゴリー │長崎カステラ
こんなデザインに仕上げてください!ということでお客様が下絵を届けてくださいました。
この絵を参考にして刷り込み用の渋紙にカッターナイフで切込みを入れて型紙を作ります
焼きあがったカステラの表面に、この型紙を使って白餡を刷り込んでいきます。
お客様のご希望のデザインがあれば型紙を作ってご要望にお答えしたいと思っていますが複雑な図柄などは出来ませんのでご容赦ください。
タオルやぬいぐるみが、
カテゴリー │絵言葉のデコレーション
そんな例のご紹介です。タオルに描かれた女の子をケーキに描いて、とのご希望です。ちょっと女の子の首から下が不鮮明ですのでご了解いただいて顔中心に描かせ
て頂きました。
それから可愛いお客様が一人でご来店です。おおきなぬいぐるみを抱えてましてどうもスティッチのようですね!
お話を聞くと、他のスティッチの絵では駄目で、このスティッチのぬいぐるみを描いてとのご希望です。写生がうまくいくかな・・・・
こんな感じに出来ましたけれどちょっと似てません?
この絵を。
カテゴリー │お絵かきデコレーションケーキ
お母さんのお誕生日のお祝いにケーキのご注文にお嬢さんがイラストを描いてきてくれました。『この絵を描いてください。』とのご希望です。
こちらは今度はお友達にケーキをプレゼントするのでイラストを描いて来てくれました。ノートに鉛筆で友達の子のイラストが書いてあって、帽子は茶色、黄色でリボン。そして服はピンクと色を指定してくれてますので、すぐに取り掛かれますので助かります。
こんな風にご希望の絵をお描きしていますのでよろしかったら又覗きにお越しください。
でもいつも感謝していますのは、遠くからもお問い合わせいただいたりすることがあって、ご覧いただく御方がいらっしゃるのが励みになって又UPしていきたいと思っています。
ここのところいろいろな用事が重なってちょっと間が空いてしまいました。