甲斐路・信濃路≫
カテゴリー
所用で甲斐路信濃路をめぐって来ました。ちょっと時間がとれたので、一度行ってみたかった武田神社を見学して来ました。ここは武田氏館跡別名躑躅ケ崎館(つつじがさき館)とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が永禄16年に石和からこの地に、館を移した事から始まり、その後、信玄・勝頼と、武田家当主の館として使われました。武田家滅亡の後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの約70年にわたり、この館一帯は、政治・経済・文化の中心地として発展してきたそうです。一辺が200メートルの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とのよって構成された平城形式のものです。
ところで来年のNHKの大河ドラマ『風林火山」で、甲府の街は大河効果を期待する沢山ののぼりが、立ち並んでいましたが、ドラマの人気度次第で経済効果も左右されるのでしょうか?頑張れ!!!出演する方々甲府、いや山梨県の活性化の爲に、と、武田神社にもお願いしてきました。
今年は、大河ドラマ「功名が辻」で遠州掛川を全国に知らしてもらったし、先日はNHK木曜ドラマ「次郎長背負い富士」で、ここ遠州森町の超有名人「遠州森の石松」さんも、山本太郎さんの熱演技で改めて全国に、その名を広げた事だし今度は、お隣の県でよかった。
続いて信濃路に入りました。
ここで問題です。
白樺の木でこんなふうに現しているS.Aはどこでしょう。
答えは一番後ろに。
先に訪ねた甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が幾度も戦った古戦場の川中島を通った時、今は公園になっている川中島古戦場跡の一角に銅像が建っていたので記念撮影しました。
よく見ると「佐久間象山」像でした。幕末に活躍した学者。信濃松代藩士で、始め朱子学を学び、後に蘭学を修め、西欧の科学技術の摂取による国力の充実を主張したけれど、京都で攘夷派によって、暗殺されてしまった。門下生には勝海舟や吉田松陰らがいる大変優れた方…の顕彰銅像でした。いろいろ戦国時代から幕末をお勉強?させていただきました。
肝心の所用の方はしっかり務めさせていただきましたので、ご安心ください。(心配してない?そうですよね!)念のため。
答えは長野自動車道『梓川サービスエリア』 でした。