屋台は長持ち!?

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 先日(7月13日屋台は長持ち!?)、静岡新聞の朝刊に『シンボルの屋台  引退』の記事が目を引きました。
記事の終わりに『屋台は今後、森町の保存会に引き取られるという』と書いてありましたが、『ふーん、どこのことだろう?』 それ以上の事は分からないので新聞置き場にしまい込んでいました。

その一週間後、ある方から電話を頂きました。
『菊川市の東栄町の屋台が区画整理事業に伴って祭りが終わることになって、森町に里帰りをすることになった。この屋台は弘化2年(1845年 167年前)に新町で造営されたものである。文化財的価値によって、菊川市と森町で協議をし保管を目指すことになった。』
という内容のお話をお聞きしました。今年お役で長の番が廻って来て、務めさせていただいている関係で連絡を頂いたということです。

改めて、新聞置き場から探し出してその記事を読んでみると、

「菊川市の旧東町、旧栄町が昨年まで秋祭りに合わせて「東栄町」を結成し、菊川神社の秋祭りを運営してきた。しかし、JR菊川駅南区画整理事業に伴い、今春から東町は新通自治会に、栄町は本通り上自治会にそれぞれ再編された。歴史ある秋祭りの存続を望む声もあったが祭典は昨年で終了することが決まった。
 東栄町の屋台は、嘉永年間(1840年代)に森町で造られたとされる。その後、掛川市の伊達方で使われ、約80年前に栄町が買い取ったという。  後略」

 そこで、その方に町内会で経過をお話したいので資料を作ってもらえると有難い旨をお伝えすると、早速FAXで届きました。ニコニコ

その記録によると「正保4年11月15日(1647年 365年前) 大名が山口氏の時、上新町(現在の新町)・下新町(旅篭町下宿)が町割され、実質町屋となる。家数西16軒・東21軒。合計37軒。」
 「元禄12年 9月25日 (1699年 313年前) 上新町長さ101間(181m)家数西18軒・東21軒。合計39軒」
 「弘化2年 (1845年 167年前) 明和6年(1769年)定められた新町若者連中掟を追加してただす。この年に屋台が造営され、若者掟がただされた可能性あり。」
 「弘化3年 (1846年 166年前) 仲町屋台が造成されたとみられ、角や村松吉兵衛の略草稿の漢詩が記される。
 この中に、「店原の布袋(本町の屋台)・北街の獅子(新町屋台)とあり、これ以前に新町の屋台(初代か) は造られており、この年の出し物が判る。」
 「明治6年9月 (1873年) 本町・仲町・新町共有の幕(村松以弘画 松に孔雀)を本町所有とする。」
 「明治14年 (1881年)  伊達方村へ屋台売却。その時の証文は、森町歴史民俗資料館に展示。
 以後70年間は伊達方村で引き回す。」
 「昭和26年 (1951年) 伊達方村で、屋台新築となり、菊川有東(うとう)へ売却。」
 「平成24年3月(2012年) 菊川東栄町が区画整理のため町内分散となり、屋台の里帰りを菊川・森で協議し、文化財的価値によって保管を目指す。」
 「平成24年7月5日 菊川市東栄町で屋台の脱魂式を執行。森から有志参加。」

以上のような経緯を経て屋台の里帰りとなった次第を聞きまして、「何と、屋台は長持ちするもの!」と感嘆致しました。

如何でしたか? それにしても自分の町が新町というので新しい町と思っていましたが、とんでもない長い歴史のある町だったということを教えていただいて感謝です! この先生、何でもよく御存知で生き字引の尊称を冠しています。(とにかくスゴイ!)

森の祭りまであと99日になりました。ニコニコ 屋台の絵のご希望は年中です!ホントにお祭り好きの方が多いですね!
                                               こちらが今の新町の屋台です。平成4年10月竣工。             屋台は長持ち!?  屋台は長持ち!?



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この記事へのコメント
こんにちは、はじめまして。

167年前の北街社が現存とは
すばらしいですね。

また、森町へ里帰りで
社員の方もお喜びでしょうね。

長持ち!?といえば
そうでしょうが、
売却先の方々が
大切に引き回してこられた
賜物と思います。

私の出身町内の屋台も
菊川で活躍しています。
どうか、末永く活躍してほしいものです。

明治・昭和・平成と建造しているのは
財力がある?新し物好き?大切にしていない?
Posted by 雲龍 at 2012年07月27日 10:01
雲竜様
ご覧頂いて有難うございます。
私は最初そんなに昔のものを引き回していたという驚きで一杯でした。平成に造られた時、修理派と2分する新造派が新しい町内が誕生して新しい屋台が次々造られた時期(10社時代から現14社)に、今、造営しなければ将来その機会は無いという勢いで造営に動いて出来た経緯が有りますので、新しい物好きが多いと言われればその通りかも知れませんね。
昭和の屋台も森町の他の地区で今も大切に引き回しされていまして、その様子を見に行っています。
今後を思うと現屋台を100年余に渡って大切にして貰いたいと願っています。
Posted by 月花園月花園 at 2012年07月27日 22:27
伊達方に行ってきました。
記事を掲載し、この記事を紹介させていただきました。
Posted by 森のげんき屋森のげんき屋 at 2012年10月07日 08:49
初めまして、
伊達方住みの青年です。

初代北街社(新町)の屋台は引退してしまいましたが、
そのワッパは未だに伊達方で活躍中です。

伊達方に来てくださったんですよね?
遠いところわざわざありがとうございます。

お話しできたら良かったんですが・・
ゆっくりお話ししたいです。

余談ですが、今の伊達方の屋台は先代の屋台を受け継ぎ、欄干は開いています。
先代同様、づり棒も無く、提灯は蝋燭で屋台使っています。
今の屋台を変えたいという意見は一言も出ていません、
Posted by マヂックリンαマヂックリンα at 2012年10月09日 12:30
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